5/16-18 出国、そしてサンディエゴでの日々
いよいよPacific Crest Trailのハイキングに向けて日本を発つ時がきました。
一時的に引っ越した実家を出発し、長年過ごした大阪、京都、東京と街を転々と、半年間日本を離れるので挨拶も兼ねたくさんの友人に会いました。
旅立つことは、社会の流れから一時離脱する意味もあり、少なからず不安もあるものですが、幸い多くの友人は、応援してくれたり、逆に勇気をもらったと言ってくれる人もいたり、おかげで大切な時を前だけ向いて出発に向かうことができました。
そして、出国当日。
出発地の羽田空港には、友人美女2人組が見送りに来てくれて(^^)、搭乗手続き直前まで女子会状態だったため、その余韻のおかげで1人旅立つことに淋しさを感じずに出発することができました。
まずはロサンゼルスまで約9時間の空の旅。
その後、サンディエゴ行きの飛行機にトランジット。入国審査が厳しいと聞いてたものの、復路のチケットの有無や、PCTの詳しい説明についても聞かれることもなく、難なく入国できました。
そしてバックパックを一度ピックアップし、広い空港内を歩き回り、トランスファーカウンターで再度バックパックを預け、バスに乗り国内線ターミナルへ。飛行機が行き交う中を颯爽と走るバスの車窓は、飛行機との距離が近く、日本と違い迫力満点でした。
ターミナルの建物に着くと、掲示板には出発時間変更の表示が。仕方ないのでのんびりソファに腰を下ろして待ちます。ロビーではアコースティックギターを弾き語りで歌う男性の歌声が響き、歌い終わると拍手が飛び、そんな雰囲気の中、アメリカに来たことを実感しました。
そしてようやく出発予定が近づいた頃、更に飛行機はキャンセルになってしまいました。 他の搭乗口に案内され、更に1時間待たされます。振替便の空席を穴埋めする形でキャンセルされた便の乗客の名前が読み上げられていきます。本当に名前を呼ばれるか心配でしたが、無事に呼ばれ、なんとか約3時間遅れでサンディエゴに到着しました。
たらい回しされたことで心配だったのが預けた荷物。案の定 ベルトコンベアから出てくるはずの私のバックパックが出て来ません。まさかの半年以内で人生2度目のロストバッゲージ。
一度経験すると人は勉強するもので、もう動じることはありません。手荷物カウンターに行き手続きをし、滞在予定のトレイルエンジェル(ハイカーを助けてくださるボランティアの総称)宅に届けてもらうようお願いしました。
その後、お世話になるScout & Frodoのお宅へ向かいました。本来送迎に来てもらえる予定だったので、飛行機が遅れたことにより自力で向かわないといけません。サンディエゴではタクシーとUberがメジャーに使われているそうで、価格も安く人気のUberに初挑戦。アメリカで使える格安SIMを予め契約していたので、スマホでスムーズに調べることができました。
ちなみに、契約した格安SIMはH2O KDDI Mobile。アメリカで人気のAT&Tの電波網を利用しており、サポートも日本語ということでこちらを選びました。
ドライバーとの待ち合わせに少し苦労したもののUberはすごく使いやすかったです。
アプリでルートを確認した時点で金額が提示され、予約と同時にクレジットカードで決済。目的地まではカーナビに表示された最短ルートに沿って向かってくれるので、初めての土地でも迂回される心配もなく、安心して向かえました。ドライバーもいい人そうで、片言の英語ながら話も弾みました。
そして、トレイルエンジェルの家に到着。
3泊お世話になるScout & Frodoのお宅は写真で何度も見たことがあったので、すぐにわかりました。
到着した時は2人は不在でしたが、スコットランド出身のハイカーDavidやアメリカ人のハイカーのLisaなど沢山のハイカーがいました。バックパックがロストしたと言うと、みんながとても親身に心配してくれ、口を揃えて早か出てくると良いね、と言ってくれました。
Davidは家のことにとても詳しく、ホスト並みに丁寧に教えてくれました。お腹は空いてないかと聞かれ、早速ディナーのトルティーヤの作り方を教えてくれたり、ハイカーが泊まるための庭に張られたテントに案内してくれ、スリーピングバッグしか手元に持ってなかった私に、ハイカーボックスからスリーピンクマットを探して敷いてくれ、これでは寒いかもしれないと、更にもう1枚マットを敷いてくれました。なんて優しい人なんだ!
そして夜、帰宅したScoutとFrodoにご挨拶。
背が高くとても優しそうな目をしたScout、大きな目をした美人で小柄なFrodo。2人は2007にPCTをスルーハイキングしていて、Scoutは今年Appalachian Trailをセクションハイクする現役のハイカー。
出発前のPCTハイカーを世界中から受け入れてくれており、とても頼りになる存在です。
2日目。
朝5:00頃。昨夜ゆっくり寝て良いと言われていたものの、せっかくだし早起きすることに。ダイニングでは大きなテーブルを囲んで、Frodoが作ってくれたフレンチトーストやスクランブルエッグの朝食をいただきます。
Davidはこの日、スタート地点のCampoへと旅立ちました。
旅に欠かせないベアキャニスターや浄水器、シルバーの傘など、US版のオンラインストアで予め買っておいたギアを無事に受け取りました。
そして、心配していたバックパックも昼過ぎに届きました。少し傷が付いていたので保護袋に入れなかったことを少し悔やみながらも、無事に旅を始められそう安心です。
午後からはFrodoがアウトフィッターのREIと、VONSと言うアメリカで有名なスーパーマーケットに連れて行ってくれました。
アウトドア用品はやはり日本よりも安い印象。食品などの物価は日本よりも少し高く感じました。VONSは会員カードがあると割引価格が大きいので、「お金を節約しなさい」とFrodoが貸してくれました。
慣れない買い物に2時間近く費やして、帰りは散歩がてら歩いて帰宅。
日本にないゆったりとした街並み。家も大きく、緑も豊かで、穏やかな日差しがゆっくりとした時間を楽しませてくれました。
夕方からも沢山のアメリカ人ハイカーがやって来ました。この日はちょっとしたパーティでした。レストランから届いたパスタなどを囲み、食卓は大賑わい。Scoutがハイカーたちに向けて色々な話をしてましたが、英語をほとんど理解できず、ただ聞くだけでした。とほほ。
そして、ご飯を食べた途端に、話の途中から、強い睡魔に襲われ、この日は食事が終わると即座に寝床につきました。
3日目。
目が覚めるとテントには私1人。時計は5:30を回っていました。
他のハイカーはすでに荷造りを終え、朝食を食べているところでした。疲れが溜まっていたようで、9時間も寝通したようです。
今日も沢山のハイカーたちがスタート地点のCampoへと旅立ちました。かわいいLisaともここでお別れ。私以外のハイカーは皆今日のスタートということで、1人だけ玄関からお見送りました。どこかお向かいに来ないお母さんを待つ幼児のような気持ちに似ています。
偶然にも、このお宅でハイカーを受け入れるのは今日までだそうで、私はこの家でお世話になる今年最後のハイカーとなりました。今日は夜に1人、アメリカ人のハイカーが来るそうで、それまでは1人バウンスボックスとバックパックの整理に勤しみます。
ここで少しご紹介。
私のベッドルーム。
お庭に張られた3棟のテントがハイカーの寝床として当てられます。持参のマットとスリーピングバッグを使用しますが、ロストバッゲージに遭った際、マットとスリーピングバッグを貸してもらいました。
ハイカーボックス
こちらに必要なくなったギアや食糧を入れ、いる人がそれを再利用するという、なんともエコで便利ななシステム。
庭ではテントを畳む作業が始まるということで、私も手伝うことに。夫妻の友人の元ハイカーの男性2人も手伝いに来ていて、いろんな人に助けられて今があるんだなと改めて感謝の気持ちがこみ上げて来ました。
また、たくさんの人を助け、たくさんの人に助けられて、人とともに生きているScoutとFrodoの人柄がとても素敵に思えました。
そして、偶然にも最後のハイカーということで、こうして普段経験できない状況に出会えたのも嬉しかったです。
昼過ぎ、ようやくバウンスボックスとの奮闘もなんとか落ち着き、車でPost Officeに連れて行ってもらい、Warner Springsに食糧と消耗品の予備の入った箱を1つ、Kennedy Meadowsへ食糧を詰めたベアキャニスターと念のため持って来たブーツや防寒用のギア、2つの箱を送りました。
家に戻り、リビングにある本を読るでいると、手に取ったPCTのデータブックの1ページ目に「千里のみちも いっぽから」という言葉が。
どうしてこんな所に日本語が?とも思いましたが、良い言葉なので、写真に収めました。
現在、現地時間は夜3:30。
いよいよあと数時間後には、私も出発地点のCampoへ旅立ちます。